偽作者作品

ACT作品展に出品したもの。
ACTは何度か詰パラ誌上で作品展を開いた。
伝統ルールの作品、ということで、僕には出番がなかったのだが…。
この作品ができたときにふと思いついた。
実戦型七色図式―まるで山下雅博さんの作品みたいだ。
手順に見るべきところがないのもそれっぽい(ヲイヲイ)。
作者当てをすれば誤解続出かもしれない。
そこで作者当てを提案して、この作品を出した。
テーマは「偽作者作品」。
…だったのだが、作者当ては行われなわれず作品だけが載って失敗。

ACT作品展に出品したもの。
ACTは何度か詰パラ誌上で作品展を開いた。
伝統ルールの作品、ということで、僕には出番がなかったのだが…。
この作品ができたときにふと思いついた。
実戦型七色図式―まるで山下雅博さんの作品みたいだ。
手順に見るべきところがないのもそれっぽい(ヲイヲイ)。
作者当てをすれば誤解続出かもしれない。
そこで作者当てを提案して、この作品を出した。
テーマは「偽作者作品」。
…だったのだが、作者当ては行われなわれず作品だけが載って失敗。

伝統ルールではまともな作品は数少ない。
その数少ない作品の一つ。一応、構想作。
原図は全体が2段上(23玉)の配置で、ACTの席上で濱田博さんに潰された。
濱田さんはいつも斬られ役だったし、その彼に斬られるとは夢にも思わなかった。
残念!(笑)
でもちょっぴり愉快でもあった。
記念の意味も込めて、金をと金にする、という濱田流の安直な修正。
再修正は湯村光造さんのアドバイスに従ったもの。
原図の失敗は初手の限定にこだわったためだが、
よく考えると意味がなかった。
変化手順もよくなって、何とか見られる作品になった、と思う。
#
ACTについてはまたお話しすることになるだろう。

僕には合作で発表した作品がいくつかある。
合作の相手は、花沢正純、山下雅博、菊田裕司、山田康平の各氏。
そうそうたるメンバーである。
ただし、本当に合作と言えるのは山下さんとの作品ぐらい。
花沢さん、康平さんとの合作は、僕の原作に彼らの発見した余詰筋を作品化したものだし、
菊田さんとの合作は、僕の原案を菊田さんが作品化したものだ。
だから、合作というのは面はゆい。
でも、彼らとの交流の記念として、どれも僕には忘れることのできない作品である。
花沢さんとの合作を掲げる。安南協力自玉(ばか自殺)10手。
今、詰将棋が作れる気がしない。
何も思い浮かばない。
これにはいくつかの理由があるだろう。
その中で一番大きいのはたぶん、僕の不器用さだろう。
仕事で使う頭と詰将棋で使う頭は全然別な気がする。
いわば別のモジュールなのである。
しかし、モジュールのスイッチをうまくやって、両立、
どころか多彩な活動をしている人はたくさんいる。
それができないのは僕が不器用だからだろう。
伝統ルールので作るのは苦手だったが、入選レベルギリギリなら何とかなると思っていた。
そこで考えたのが、詰パラの各コーナー、近代将棋など他の雑誌それぞれに1回ずつ入選する、
という遠大な計画。
しかしこれは、詰パラのデパートと近代将棋に入選したところで頓挫。
痛かったのは将棋ジャーナル。投稿してまもなく休刊になってしまった。
それでちょっとやる気が失せた。
もっとも双玉作品だったので採用されるかどうかは微妙だったのだが。
せめて詰パラの学校だけでもやってみたい、と今でも思う。
残っているのは、中学と短大、大学、大学院。
僕の実力では大学、大学院の入選は難しそうだが、
スキマ産業的な狙いの作品ができれば不可能ではないと思う。
岡田敏さん(超人!)の歳まで脳みそが持てば何とかなるだろう。
詰将棋は安上がりな趣味だ。
一番お金がかかるのは『詰パラ』の定期購読料だろうか。
あとはポケット盤があれば足りる。
僕が使っていたのは、差し込み式のポケット盤。
金子義隆さんも差し込み式を愛用されているようで、
「ふしんなぺーじ」の「続・創作の風景」にその写真が掲載されている。
僕が使っていたのは下の方だ。
大学生の頃住んでいたアパートは風呂がなく、銭湯に通っていた。
そのタイルを盤に見立てて創作することもあった。
考えがまとまらず風呂場に長くいて、気分が悪くなったこともあった。
残念ながら僕の頭の中には9x9の盤は入っていない。
だから盤面を広く使うような作品は、風呂場のタイルとかの助けを借りないと無理だった。
上田吉一さんの盤駒が押し入れでほこりをかぶっている、という話を聞いたときは驚いた。
詰将棋用語で言う「暗算」であんな作品ができるとは!
上田さんが誰でも盤駒は頭に入っている、と思っていたのにはもっと驚いたが(笑)。
ばか詰で不完全作が続いたときは、検討しても検討しても見落としががあった。
自分の思考にはどこか盲点があって、見落としは避けられないのか、と悲観的になっていた。
作り方が悪いと気づいたのはかなり後になってからだ。
それまでは手順を思いついて、まず駒を配置。それから目についた余詰を消すように配置を変更していた。
試行錯誤だった。
ある時期から作り方を変えた。
あらかじめ作意手順以外は成立しないような仕組みを組み込んだ配置を作ってしまう、という作り方。
たとえば玉の斜め下に玉方桂馬を置く。前からの王手の応手は同桂か桂の移動合以外ないようにする。
桂が動くと逃げ道ができる。それを1手では塞げないようにしておく。
こうすることで頭からの攻めで定められた手数内で詰ませるのは相当難しい。
この手法を使うようになって余詰は激減した。
詰パラ会員になって、一年以上たったある日。
ばか詰を作ろうと思い立った。なぜ思い立ったのかは分からない。
何となく作れそうな気がしたのだ。
第一作は飛車で角合をさせてその角を動かす、というテーマ。
今になってみると、フェアリーで作る必要のないテーマだ。
(実際、後に伝統ルールで作り直して近代将棋に投稿した。)
それを含めて十作ぐらい作って、あろうことか、即詰パラに投稿。
フェアリーの担当は加藤徹さんに代っていた。
そして当然ながら(笑)、すぐに全部不完全作であることが分かって投稿取り消し。
改めて投稿するようになったのは担当者が飯田岳一さんに変わってから。
しかし、そのときも掲載はされたものの不完全作を連発。
何とか完全作が出せるようになったのは小林看空さんが担当になってからのことだった。
看空さんが不完全作にも暖かいコメントを下さったので励みになった。
同じ経験をした人は多いと思う。未熟な作家、投稿者を育てるのは担当者、そして解答者なのである。
その力は計り知れない。
『詰パラ』には「フェアリー詰将棋研究室」というコーナーがあった。担当者は門脇芳雄さん。
『続詰むや詰まざるや』の著者だ。
僕が読者になった頃、左真樹(ひだりまき)という奇妙なペンネームの作者がデビューした。
左さんの創作力には驚くしかなかった。短編から煙詰の大作まで質量とも圧倒的だった。
しかも僕にとって幸いだったのは、しばらくすると彼の作品が解けるようになったことだ。
煙詰が解ける!それはその当時の僕には信じられないようなことだった。
僕が今でも詰パラ会員を続けているのはたぶん彼のおかげだ。
「つめしょうぎ」を「詰め将棋」でなく、「詰将棋」と書く人はマニアの匂いがする。
大学に入って早々にキャンパスに足が向かなくなって退屈な日々を送っていた僕は、ある日渋谷の書店で、
『続詰むや詰まざるや』を見つけた。盤面一杯に広がる駒に圧倒された。
高校の校内将棋大会でまぐれで準決勝まで行った程度の棋力の僕には一題たりとも解けない、
というより解く気のしない作品群。しかしなぜか惹かれて買って帰った。
それからしばらくして『近代将棋』の広告で『詰将棋パラダイス』を知って手に入れた。
『詰パラ』のメインコーナーは手数順に「幼稚園」「小学校」…「大学院」と区分された「詰将棋学校」。
短いものから解いて行って高校で挫折。今から考えると善戦したと思う。
元々根気のない僕のこと、それからしばらくはもっぱら解答を見て携帯の将棋セットで並べてみる、
ということをするだけ。それでも『詰パラ』の世界が楽しくて定期購読を続けた。
僕もいつの間にか「つめしょうぎ」を「詰将棋」と書くようになっていた。