禁じられた遊び ―解説感想:第6番~第8番
第6番、第7番はかわいい小品、と通り過ぎそうだが、実はここにも後に中長編で展開される巨椋氏の方法論が萌芽的に含まれているという。
捨駒の強さが次第に上がる、という構成。著者はこれを「クレッシェンドの法則」という。
これが長編に適用されると、短く切れ味のよい収束、ということになる。
反対にディミヌエンドとなるのは主眼部が終わってから置駒を延々と捌く構成。
こうした超短篇の創作でも方法への意識を持ち、その方法が一貫していることに感動を覚える。
第6番、第7番はかわいい小品、と通り過ぎそうだが、実はここにも後に中長編で展開される巨椋氏の方法論が萌芽的に含まれているという。
捨駒の強さが次第に上がる、という構成。著者はこれを「クレッシェンドの法則」という。
これが長編に適用されると、短く切れ味のよい収束、ということになる。
反対にディミヌエンドとなるのは主眼部が終わってから置駒を延々と捌く構成。
こうした超短篇の創作でも方法への意識を持ち、その方法が一貫していることに感動を覚える。
第6番
飛角が相対する形から連続捨駒。整った印象の作品。
第7番
定型的な手の組み合わせだが、初形と詰上がりを考えれば上出来の作品。
第8番
7手目は妙手。
指してみると既視感のある手(ただしこの作品がオリジナルかも)ではあるが、見つけにくかった。
解説の部をめくって驚き。
素晴らしい。
これまでの詰棋書にはなかったものだ。
そこで、拙劣ではあるが、作品の感想とは別に、解説の感想を記していくことにする。
第5番の後の長文の解説に著者の詰将棋観の核心が表明されている。
巨椋氏が詰将棋に求めるものはある種の快感である。
その快感は作品を解くときそこに「よい姿形」を感じる取ることで生じるものであるという。
「よい姿形」とは時間の中のカタチであり、それを氏は「フォルム」と呼ぶ。
「フォルム」を定義していわく
詰将棋の時間軸上にさまざまな手(出来事)が描き出すカタチを、とくにそれが快感を与えるか否かという見地から見る場合、フォルムという語を用いる。
この語を用いて、巨椋氏は自らを「フォルマリスト」と呼ぶ。
手やその集まりとしての「出来事」のつながりへの意識はやはり長編と親和性があるだろう。
これを読んで自分が短篇作家でることを再認識した。つながりではなく、手そのもの・出来事そのものに意識が向くからだ。
解く方もウォームアップのつもりで第1番から第5番。
□ 作品感想(作者解説を読む前に書いている)
第1番
二枚馬の焦点を巡る攻防。このパターンはいろいろなアレンジが可能。
この構成には感心した。
第3番
駒配置とと手順に古典的な雰囲気がある一方で、変化紛れの少なさにはモダンさを感じる。
第5番
軽快な捨駒作品。5手目は妙手。
ふつうに第1番から順に解いていくと、中長編に差し掛かったとき不都合が起こりそうだ。
解くのに何日もかかるということになると、ブログの更新が滞ってしまうだろう。
何日とまで行かなくとも1時間以上かかるぐらいですでに厳しい。それだけのまとまった時間が取れないからだ。
そこで、著者の意図とはずれてしまうが、第1番から解くのと平行して第2部の中長編も解いて行こうと思う。それをどういう順番で解くかは改めて考える。
さて、どのように読み進めるべきか。
『ゆめまぼろし百番』は最初から白旗だったが(笑)、巨椋氏の作品は基本的に鑑賞用なので、解けないレベルではない。
とはいえ、中長編が多いので『光速の詰将棋』のように盤駒なしでという訳には行かないだろう。
盤上に並べて、しかも無理せず駒を動かして解くことにしよう。
そこで久しぶりにマグネット盤を取り出した。
引っ越し以来段ボールに入ったままでほこりをかぶっている。
ほこりを落として準備完了。
第1番から並べる。
字が消えかかっている駒もあるがまあいいだろう。
しかしいきなり第3番が並ばない。
桂馬が1枚足りないようだ。
どこかに落ちていないか探すが見つからず。
仕方ないので、大きな盤を取り出すことにした。駒は1万円台の僕としては上等の駒。
なぜ最初からこちらを出さないかというと訳がある。
僕もそうだが、詰キストにはポータブル盤愛好者が多い。
僕も創作・解図ともポータブル盤を使ってきた。ポータブル盤を使ったときの方がなぜか考えやすいのだ。
この機会に新しいマグネット盤を買うつもりだが、とりあえず大きな盤で始めることにする。
巨椋鴻之介『禁じられた遊び』がAmazonから到着。
私という少年は早熟ではまったくなく、下手なものを作りながら徐々に進歩した。彼にどこか変わったところがあるとすれば、それは、自分の今やていることについて意識的で、どこが不満か、どちらへ歩むべきか、自分にとって大事なのは何かを、いつも模索していることだ。(まえがきより)
これは巨椋鴻之介あるいは佐々木明という青年のBildungsromanとして読むべき本なのだろう。
それが詰将棋作品集の形を取っている以上、読者をおのずから選ぶ。
詰キストである幸福を感じる。
残しておいた最後の第120問。
少し詰めにくさのある作品。7手目は「奇手」(ヒントより)という感じはしないが、味わい深い手。好作。
久々の解図だったが、何とか暗算で解き終えることができた。
出張から戻ってまとめてアップ。
第106問。9手目が好感触。
第107問。軽い手順だが、2手目の変化がアクセントになっている。
第108問。コンパクトな形で初手限定打に続く3,5手目も好手。まとまりがよい好作。
第109問。合駒によって必要になったり邪魔になったりするのが(当然ながら)おもしろい。35歩の配置は減価事項か否か。
第113問。初手の変化が短く詰まず悩んだ。後半は爽快な手順。
第115問。これは僕の好み。
第118問。「不利感のある5手目」というヒントのせいか、5手目は第一感だった。
ヒントのつけ方は難しい。あるいはヒントは別のページの方がよかったかもしれない。
…ということで最後の一問だけ残った(残した)。
昨日は体調が悪かったので、一日おいて更新。
第101問は鬼手一発、以降は後片付け。5手収束だがさほど気にならない。
第102問、桑原辰雄氏の作品を連想した。
第103問、この最終手非限定は味が悪い。個人的には許容しづらい。
100問に到達。あと少し。
『光速の詰将棋』を解き終えたら次は何をしようか…。